1976年8月5日生まれ。大学で美術を専攻し、除隊後に俳優を志しモデルとして活動を開始する。01年のデビュードラマ「おいしいプロポーズ」の中華料理屋の出前青年役で注目され、翌年の「ただいま恋愛中」で姉の友人に一途な愛を捧げるプレイボーイを演じて人気が出る。03年には主演ドラマ「天国の階段」が大ヒット。日本での認知度も一気に高まり、韓流スターとして国内外で高い人気を得る。10 年はドラマ「レディプレジデント~大物」の演技が高く評価され、SBS 演技大賞では最優秀演技賞を受賞した。他の近作に、映画『悲しみよりもっと悲しい物語』(09)『戦火の中へ』(10)、ドラマ「シンデレラマン」(09)などがある。
──『痛み』のどんな点に惹かれて出演を決めたのでしょうか?
痛みを感じることができない男を表現する、というのはどういうものだろうかという期待から出演を決めました。
──映画出演10 作目となりますが、この映画はクォン・サンウさんにとってどんな作品だと言えますか?
現在までの私にとって最高の作品です!
1981年1月21日生まれ。小学生の時に家族でオーストラリアに移住。現地の大学生だった冬休みに訪れた母国でスカウトされ、00 年に4人組のダンスグループ“CHAKRA” の一員としてデビューした。03 年にグループを脱退すると女優へと転身を図り、『私の名前はキム・サムスン』(05)でガン患者だった主人公の昔の恋人役を演じてその地位を確かなものにした。他の主な作品にドラマ「君はどの星から来たの?」(06)「幻の王女 チャミョンゴ」(09)、映画『B型の彼氏』(05)『彼とわたしの漂流日記』(09)などがある。
──シナリオを読んで出演を決めるまでに時間がかからなかったそうですが、どんな点が気に入ったのですか?前作が終わってすぐに出演を決めたと聞きました。
一人は無痛症で一人は血友病という、対極にあるふたりの男女ナムスンとドンヒョンの話が面白いと思いました。無感覚と鋭敏過ぎるふたりの出会いがどのように描かれるかに興味を抱きました。以前と違って、2010年はゆったりと仕事をしていたので、もっと仕事をしたいという気持ちになっていたんです。
1966 年5 月23日生まれ。医者だった父の影響で釡山の医大に通うが、中退して渡米。ニューヨークで映画制作を学ぶかたわら短編映画の監督を手がける。95 年にニューヨーク大学映画演出科を卒業。同年に監督した短編『営倉話』で認められ、97 年『オクスタン』で長編映画デビュー。翌年の『ドクターK』を経て、01年の『友へ チング』が大ヒットを記録し一躍スター監督となった。同作は09年に監督自らが20部作としてドラマ化した。他の作品に『チャンピオン』(02)『トンケの蒼い空』(03)『タイフーン』(05)『愛 サラン』(07)『目には目、歯には歯』(08・共同監督)などがある。
──どんな点に惹かれて『痛み』の監督を引き受けられたのでしょうか?
映画制作は本質的に説得の問題だと思います。私が自分自身を説得し、観客を説得させたいという欲求が生まれる時、創作意欲が湧き出します。シナリオをもらった時、自らがストーリーとキャラクターに説得され、何よりも男性主人公がクォン・サンウという点で作品の完成度が高まると思いました。シナリオを読んだ時、クォン・サンウとナムスンのイメージが非常にぴったりでしたし、昔から彼と作品を作ってみたいと思っていました。